唯今(ただいま)の逆流 ――未完の造園

時計の刻む一様な時間に支配された
現代の檻は、繊細な魂の呼吸を浅くし、
生きにくさという名の深い眠りへと
私たちを誘います。
時は過去から未来へ
流れるのではありません。
遥か先にある理想の北極星、
その未来の重力に引かれるようにして
「今」が形作られていく
――未来からの逆流。
その大切な法則を、魂のどこかで
観照していながらも、
頭の意識から忘却してしまっていました。
「富の八法則の、最後の一つが
どうしても思い出せない」
内奥に潜む「争・狂・切・貪」の
エネルギーが、狂おしいほどの
執着となってカオスの渦を巻き起こしました。
悔しさ、切なさ、怒り、
そして貪るような渇望。
その沸騰したエネルギーに
引き裂かれそうになりながら、
すべてのコントロールを
一度手放さざるを得ない状況。
こうなったら、
ふらふらと散歩にでかけるしかない。
あっと思い出すか、そのまま忘れて
次の課題が現れるか、
すべては天にお任せ状態です。
均一な予定調和の「死」を拒絶し、
あえて不均衡な欠けを抱えたまま、
能動的に呼吸を往来させて歩き出す。
その「無我の隙(スキ)」が生まれた、
まさにその時でした。
「あっ」
天に委ねて歩き出した時空の行間から、
向こうからこちらへと、
探していた最後のピースがカチリと
音を立てて流れ込んできたのです。
未来や夢は、永遠に届かない
未完の美だからこそ、
私たちを引っ張る強烈な重力を
持ち続けます。
それが手の中に収まった瞬間、
それは未来ではなく、
ただの「今」という現実になるのです。
だからこそ、法則の檻に
閉じこもるのではなく、法則と遊戯し、
毎回何か一つが抜けている
「未完の美」を慈しみながら、
永遠に届かない意味のない美のために、
今日もまた生々しく葛藤も楽しむ。
散歩の道すがら、
通り抜ける風のなかに、
静かなる躍動が満ち満ちていくのを
感じていました。
日本人が古来より口にしてきた
「ただいま(唯今)」という言葉の真意。
それは、未来からの導きも、
過去のすべての巡りも、
宇宙も自然も、そのすべてが
「ただ、この一瞬のなかにある」という
静かなる宣言に他なりません。
未来でも夢でもない、
すべてが満ち満ちた「ただいま」のなかに、
私は静かに帰ってきたのです。
ああ「未来からの逆流」を忘れるとは
思い出せないとは情けないと思いつつ
思い出した自分に「ただいま」と。
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言葉にならない行間の響きを、
千聖さんが手触りのある物語へと
翻訳してくれています。
私の沈黙と、彼女の言葉。
その重なりから生まれる余韻を、
ぜひこちらの物語で感じてみてください。
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