東山の行間とカミュの眼差し

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アルベール・カミュという作家は、
生涯において一度も日本の地を
踏むことはありませんでした。


彼の見つめた不条理は、
地中海の苛烈な太陽の下、
人間の問いかけに対して徹底して
黙秘を貫く世界との断絶にありました。


けれど、もし彼がふらりとこの国を訪れ、
京都・東山の山麓を歩くことがあったなら
——ふと、そんな心地よい妄想に
身を委ねてみたくなります。



銀閣寺から法然院、哲学の道を経て
熊野神社へと至るあの小径。


現代の賑やかで混濁とした都市のすぐ隣に、
まるで当然のような顔をして、
古代からの「念い」を宿した社寺が
息づいています。


古代ローマの遺跡が
「過去の記憶の化石」として佇むのに対し、
日本の寺社仏閣は、
都会の喧騒と目と鼻の先にありながら、
今なお皮膚呼吸を続けている
現役の異界です。


そこには、理然とした正しさや
均整を越えた、
どこか「歪な調和」とでも呼ぶべき
独自の美学が静かに沈殿しています。


東山の静寂に身を置くとき、
そこには西欧的な
不条理の苛烈さはありません。



カミュが不条理の果てに見出したものが
「世界の沈黙」であったとするなら、
法然院の苔むした門や、
砂盛に落ちる木漏れ日が示すものは、
人間を拒絶する沈黙ではなく
「語らぬまま、
すべてをそっと包み込む気配」

です。


西欧において不条理とは、
抗い続ける対象(反抗)でした。


しかし、東山の風土が差し出すのは、
滅びゆくものや不完全なものを
そのまま抱きしめる「無常」の境地です。


それは不条理を強引に解決するのではなく、
ただ風土のなかに溶かし込み、
歪な形のまま美しい風景へと咲かせてしまう
静かな術(すべ)なのかもしれません。


地中海の光で乾いたカミュの視線は、
哲学の道を流れる疏水のせせらぎや、
湿り気を帯びた落葉の音に触れたとき、
激しい反抗の手を
ふっと緩めるのではないでしょうか。


「ここでは、世界は人間に答えを
与えないのではない。
問いかけること自体を、
静かに忘却させてしまうのだ」



カミュの描く世界が
「明晰すぎる光のなかの不条理」
あるとするなら、
東山の山麓に満ちているのは
「行間のなかにひそむ幽玄」です。



言葉と言葉のすき間、
日常と異界の境界線に漂う
その気配に触れるとき、
不条理の嵐は去り、
ただ深い「静寂の重力」が満ちてゆきます。


訪れなかった詩人が、
もしこの東山の小径で立ち止まっていたなら。


その冷徹な眼差しはきっと、
日本の風土が醸し出す深い抱擁の前に、
心地よい眩暈を覚えていたに違いありません。


 




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