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	<title>山籠り竹川の未来型・庵の記憶 &#187; 真秀ら観照録</title>
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	<description>凸凹のまま、富もご縁も、未来から螺旋的に逆流する道</description>
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		<title>自力と他力の断崖、そして未来から逆流する山谷の観照</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 19:17:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Makoto Takekawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[真秀ら観照録]]></category>

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		<description><![CDATA[どれほど足掻いても、 自分の力ではどうにもできない暗闇の底。 そこは、西欧の哲学者サルトルが 命がけで見つめた「過酷な自力の荒野」 のようでもあります。 人間にはあらかじめ決められた救いも、 約束された美しい意味もない。 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
どれほど足掻いても、<br />
自分の力ではどうにもできない暗闇の底。<br />
<br />
<br />
そこは、西欧の哲学者サルトルが<br />
命がけで見つめた「過酷な自力の荒野」<br />
のようでもあります。<br />
<br />
<br />
人間にはあらかじめ決められた救いも、<br />
約束された美しい意味もない。<br />
<br />
<br />
ただ虚無のなかにポツンと放り出され、<br />
自分の意志と行動だけで<br />
自分を創り続けねばならないという、<br />
息の詰まるような、逃げ場のない自由。<br />
<br />
<br />
すべてを自分の責任として引き受けて<br />
前へ進もうとするその姿勢は、<br />
一見すると強靭で美しく見えますが、<br />
その実、絶え間ない不安と孤独の檻に<br />
自分を閉じ込める、<br />
果てしない不自由さを孕んでいます。<br />
<br />
<br />
「自分で自分を証明し続けなければ<br />
生きている価値がない」という<br />
見えない刃が、かつての自分の心を<br />
どれほど深く切り裂いていたか、<br />
その痛みが静かに蘇ります。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">すべての重荷を下ろす、絶対的な他力の静寂</h3>
<br />
<br />
この自力の限界で行き詰まり、<br />
ボロボロになって倒れ込んだときにこそ、<br />
本当の救いの地平が開き始めます。<br />
<br />
<br />
親鸞の「絶対他力」とは、<br />
決して生ぬるい依存や、<br />
諦めの物語ではありません。<br />
<br />
<br />
自分の弱さ、ちっぽけな理性、<br />
自力の力ではどうにも這い上がれないという<br />
「底知れぬ破綻」を、<br />
徹底的に見つめ抜いた果てに訪れる、<br />
大いなる降伏です。<br />
<br />
<br />
人間のエゴなど、宇宙のうねりの前には<br />
一粒の塵にすぎないと気づいたとき、<br />
ぎゅっと握りしめていた自力のハンドルを<br />
放すことができます。<br />
<br />
<br />
自分を証明しようとする執着を<br />
一度完全に忘却し、大いなる流れに<br />
この身を差し出すこと。<br />
<br />
<br />
その瞬間に広がる安心感は、<br />
孤独な不安を遥かに超えた、<br />
魂の救いそのものなのです。<br />
<br />
<br />
<br />
道元の禅が説く「身心脱落」もまた、<br />
同じ絶壁のフチを指し示しています。<br />
<br />
<br />
あらかじめ決められた完成形を目指して<br />
苦しむのではなく、<br />
いま、この場所で、傷ついた姿のまま、<br />
ただここに在ること。<br />
<br />
<br />
それ以上に先立つ理由も意味もいらないという<br />
「現成公案」のリアリズムです。<br />
<br />
<br />
固定された自分に固執することをやめ、<br />
心も体も一度脱ぎ捨てて<br />
世界の調和の中に溶け込んでいく。<br />
<br />
<br />
そこには、ただ静かな息吹だけが満ちています。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">未来から逆流する水脈と、自身への「何でだよ」という乾いた叫び</h3>
<br />
<br />
これらの先人たちの眼差しを見つめ直すとき、<br />
「時は未来から流れる」という確信が、<br />
冷え切った心をゆっくりと温め始めます。<br />
<br />
<br />
時間は、過去の傷に縛られながら現在を耐え、<br />
まだ見ぬ未来へ向かって<br />
必死に這い進むものではありません。<br />
<br />
<br />
むしろ、美しく拓かれた<br />
未来のほうが先にあり、<br />
それが現在に向かって、<br />
絶え間なく逆流してきているのです。<br />
<br />
<br />
祈りの本質はここにあります。<br />
<br />
<br />
誰かを無理に変えようとしたり、<br />
外側から救おうとしたりする必要など、<br />
はじめからなかったはずです。<br />
<br />
<br />
どんなに暗闇の底にある命であっても、<br />
その命そのものには<br />
「未来から流れてくる力」が<br />
宿っているのだという絶対的な信頼。<br />
<br />
<br />
それなのに、なぜ私はまた頭でこねくり回し、<br />
自力で何とかコントロールしようと足掻き、<br />
諦めきれずに<br />
苦悩してしまっているのでしょうか。<br />
<br />
<br />
眼前の揺らぎを前にして、<br />
この足掻きそのものも、<br />
いつか他力という未来からの逆流を<br />
受け入れる伏線になるのかもしれない。<br />
<br />
<br />
そう願いながら、<br />
その物語に寄りかかって<br />
執着を手放せずにいる自分自身の姿が<br />
あります。<br />
<br />
<br />
いつか巡りが変わる瞬間が来る、<br />
その命の爆発力を信じたいと言いながら、<br />
その実、私自身が<br />
「未来からの重力」を信じきれず、<br />
自分の手で流れを動かそうと<br />
傲慢にハンドルを<br />
握り直しているのではないか。<br />
<br />
<br />
そんな自身の内なる自力への執着に対して、<br />
「何をやっているんだ」という切なくも<br />
乾いた叫びが、<br />
胸の奥底から湧き上がってきます。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">誘惑としての自力、そして内なる未練を断ち切る痛み</h3>
<br />
<br />
その微かな可能性への執着、綺麗事の物語に<br />
しがみつこうとする心の嵐が、<br />
かえって濁った重力となって自身を引っ張り、<br />
せっかく見出した温泉の静寂を<br />
かき乱していることに気づかされます。<br />
<br />
<br />
変わるかもしれないという甘い猶予を<br />
自分に与えることが、<br />
かえって目の前の現実を濁らせ、<br />
他責の沼や依存のスパイラルを<br />
内側に引き寄せてしまう劇薬になるという、<br />
冷徹な現実です。<br />
<br />
<br />
自らは傷つくことを避けながら、<br />
知識や方法だけで世界を<br />
動かそうとしてしまう心。<br />
<br />
<br />
その誘惑に、私自身が今なお囚われ、<br />
引きずられていることへの<br />
苛立ちがあります。<br />
<br />
<br />
だからこそ、今この瞬間に<br />
命を動かそうとしない気配に対して、<br />
未練を断ち切り、<br />
一度完全に距離を置くという<br />
冷徹な境界線が必要になります。<br />
<br />
<br />
それは他者への攻撃ではなく、<br />
私自身のなかに燻る「他力への甘え」や<br />
「自力を手放せない癖」という<br />
泥船のロープをバサリと叩き切るような、<br />
烈しい決断です。<br />
<br />
<br />
清らかな庭を護るためには、<br />
自身の内側に向けて、<br />
身を切るような痛みを伴う<br />
「愛の鉄槌」を振り下ろさねばなりません。<br />
<br />
<br />
いつか巡りが変わるという<br />
未来の伏線を遠くで信じることと、<br />
いま目の前にある厳しい現実を<br />
容赦なく受け入れ、遮断すること。<br />
<br />
<br />
この二つを、割り切れない矛盾のまま<br />
腹に収めることは、ひどく切なく、<br />
重いものです。<br />
<br />
<br />
ここまで魂を込めて場を<br />
整えてきたにもかかわらず、<br />
結局のところ、最後の最後で<br />
その覚悟から逃げ出し、<br />
綺麗事に逃避しようとしてしまう<br />
自分自身の内なる弱さ（争御魂）に対する<br />
烈しい怒りが消えません。<br />
<br />
<br />
去っていった景色が遺したものを、<br />
「喜怒哀楽の種」をくれたのだと<br />
綺麗に解釈してやり過ごすことはできても、<br />
次の景色へとスパッと進めず、<br />
同じ場所をぐるぐると回っている<br />
自身の足踏み。<br />
<br />
<br />
その見苦しいほどの落ち込みぶりに、<br />
「何て情けない、まだまだだな」と<br />
自嘲するもどかしさが胸を焦がします。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">谷底で火を絶やさず、ただ在り続けること</h3>
<br />
<br />
サルトル的な「今すぐ自分の足で立て」<br />
という実存の過酷さと、<br />
<br />
親鸞的な「自力が完全に破綻した<br />
あとにしか訪れない他力」の眼差し、<br />
<br />
<br />
そして道元の「いま、ここ」の<br />
全肯定の静寂。<br />
<br />
<br />
これらが胸の内で渦を巻き、<br />
激しい葛藤となって押し寄せます。<br />
<br />
<br />
だが、このもどかしい停滞、<br />
自分自身の不甲斐なさに塗れる時間こそが、<br />
まさに「山谷」の景色そのものなのでしょう。<br />
<br />
<br />
相手がどうであったか、<br />
世界がどう動くかよりも、<br />
湧き上がる「自分自身の怒り」「期待」<br />
「切なさ」「境界線を引く痛み」、<br />
そして何より自分自身に対する<br />
「何だよ」という憤りまでも含めて、<br />
ただ静かに眺めているしかありません。<br />
<br />
<br />
機械のようにパッと割り切れてしまわない、<br />
その残念無念さと微かな希望の狭間で<br />
揺れる自身の背中を、取り繕うことなく、<br />
歪な和（不均衡の調和）のまま、<br />
ただ腹に収めて佇むのです。<br />
<br />
<br />
急いで平坦な道へと逃れるのではなく、<br />
深い谷の底で激しく渦巻く<br />
冷たい水の感覚を、<br />
じっくりと味わい尽くすこと。<br />
<br />
<br />
他者を裁くのではなく、<br />
その揺らぎと醜さを含めたすべてを<br />
観照している眼差しそのものの中に、<br />
未来型の真の深まり（静寂の蓄財）が<br />
あります。<br />
<br />
<br />
時は未来から流れています。<br />
<br />
<br />
谷はやがて谷の役目を終え、<br />
水は静かに海へと還っていきます。<br />
<br />
<br />
私にできることは、<br />
その流れを変えることではなく、<br />
自力で証明しようとする手を静かにほどき、<br />
火を絶やさず、この庵に在り続けること。<br />
<br />
<br />
それだけで、十分なのかもしれません。<br />
<br />
<br />
<br />
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		<title>お釈迦様の山谷と、60歳の大リーガーの真――山谷（うねり）を洛とする者たち</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 17:25:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[Makoto Takekawa]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[真秀ら観照録]]></category>

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		<description><![CDATA[いつからか、この社会には 妙な幻影が漂っているように 感じられます。 すべての問題が解決し、 何の不安も葛藤もない、 ただ穏やかな平穏だけが どこまでも続いていくような、 そんな平坦な幸福のイメージです。 今が苦しいから [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
 <br />
<br />
いつからか、この社会には<br />
妙な幻影が漂っているように<br />
感じられます。<br />
<br />
<br />
すべての問題が解決し、<br />
何の不安も葛藤もない、<br />
ただ穏やかな平穏だけが<br />
どこまでも続いていくような、<br />
そんな平坦な幸福のイメージです。<br />
<br />
<br />
今が苦しいからこそ、<br />
いつかその苦しみが完全に消え去る<br />
「ゴール」にたどり着けば、<br />
ずっと幸せになれるのだと信じて、<br />
必死に本を読み、知識を探し、<br />
走り続けてしまう。<br />
<br />
<br />
実際に、世の中の多くの本には<br />
「苦しみのない幸福な場所へ行く方法」や<br />
「引き寄せのゴール」が溢れています。<br />
<br />
<br />
歴史を遡れば、お釈迦様も<br />
「苦集滅道（くじゅうめつどう）」という<br />
教えを説かれました。<br />
<br />
<br />
その教えは、しばしば<br />
「苦しみのない境地へ至る道（ゴール）」と<br />
受け取られてきました。<br />
<br />
<br />
だからこそ、その言葉を信じて<br />
「いつか苦しみのない凪の海へ行けるはずだ」<br />
と願うのは、至極当然のことなのだろうと<br />
思います。<br />
<br />
<br />
しかしお釈迦様が、身をもって遺された<br />
八十年の足跡を辿っていくと<br />
現実の歴史が伝えるお釈迦様の姿は、<br />
驚くほど人間らしく、最後の瞬間まで<br />
険しい山谷の連続でもありました。<br />
<br />
<br />
晩年のお釈迦様は、<br />
激しい背中の痛みに悩まされ、<br />
お弟子さんに「背中が痛むので、<br />
代わりに説法をしてくれないか」と<br />
横になられることもありました。<br />
<br />
<br />
最愛の故郷が滅ぼされる悲劇の直前には、<br />
軍隊の前に三度も立ち塞がって<br />
戦争を止めようとされましたが、<br />
四度目の進軍を止めることはできず、<br />
大樹の陰で静かに涙を流されたと<br />
伝えられています。<br />
<br />
<br />
最後は、信者から供養された料理によって<br />
激しい食中毒を起こし、下痢に苦しみながら<br />
その生涯を閉じられました。<br />
<br />
<br />
肉体を持ち、この世界に生きている以上、<br />
現象としての「山谷」は、<br />
悟りを開こうが開くまいが、<br />
最後の瞬間まで決してなくなりはしない。<br />
<br />
<br />
では、お釈迦様が説いた「苦しみを無くす」<br />
という言葉の真意とは、<br />
一体何だったのでしょうか。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">コントロールの手放しと、二つの景色</h3>
<br />
<br />
それは、外側の山谷を消し去ることではなく、<br />
「山谷を自分の都合のいいように<br />
コントロールしようと抗う、<br />
その執着の心を滅する」ということでした。<br />
<br />
<br />
世の中を見渡したとき、<br />
世間には「何の不安もなく、ずっと楽しそうに<br />
幸せに生きている」ように見える人がいます。<br />
<br />
<br />
現実の厳しい風を感じている身からすれば、<br />
そうした姿が時にとても眩しく、<br />
羨ましく思えてしまうことも<br />
あるかもしれません。<br />
<br />
<br />
ですが、その人たちは「苦しみや山谷がない」から<br />
幸せなのではありません。<br />
<br />
<br />
人生に訪れるその山谷のうねり、<br />
そのグラデーションそのものを、<br />
無くそうと抗うのをやめ、<br />
丸ごと抱きしめて泣きながらも<br />
時には怒りながらも<br />
「面白がり、愛おしんでいる」からこそ、<br />
ずっと幸せなのです。<br />
<br />
<br />
完全にその流れに乗ってしまったとき、<br />
そこに奇妙なパラドックスが生まれます。<br />
<br />
<br />
たとえば、新幹線や飛行機に<br />
乗っているときの感覚を思い返してみます。<br />
<br />
<br />
乗り物は時速数百キロという<br />
猛烈なスピードで移動していて、<br />
外の景色は目まぐるしく激変していきます。<br />
<br />
<br />
それなのに、乗り物の中にいる自分自身は、<br />
珈琲を飲みながら、静かに本を読んだりして、<br />
「一歩も動いていない」ような<br />
絶対的な静寂の中にいます。<br />
<br />
<br />
心の安心の境地も、まさにこれと同じです。<br />
<br />
<br />
外側の現実にどれほど激しい<br />
アップダウンがあろうとも、<br />
その流れの中心に乗っている心は、<br />
いたって平穏で、微動だにしていない。<br />
<br />
<br />
吹き荒れる暴風に生身で抵抗して<br />
地を走ろうとするから苦しいのであって、<br />
その山谷のうねりそのものを、<br />
車窓から眺めるように、<br />
珈琲を片手に「洛（らく）」として<br />
味わってしまえばいいのです。<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">どん底という名の「切札」</h3>
<br />
<br />
この安心感が腑に落ちると、<br />
現実の捉え方はガラリと変わります。<br />
<br />
<br />
私自身、かつて大きな借金を背負い、<br />
カミさんから「人として終わったね」と<br />
言われたとき、情けなくて、情けなくて、<br />
本当に自分のそれまでの生き方が<br />
ガラガラと音を立てて崩れ去りました。<br />
<br />
<br />
しかし、一度「終わった」からこそ、<br />
そこに巨大な「余白」が生まれたのです。<br />
<br />
<br />
その情けなさの極み、どん底の谷底が、<br />
時を経たいま、どうなっているかと言えば<br />
――ただの「笑い話のネタ」です。<br />
<br />
<br />
珈琲を飲みながら、<br />
「いやあ、あの時は本当に終わってたよ」と<br />
笑い飛ばせる最高の財産に反転しています。<br />
<br />
<br />
落ちる恐怖の波すらも、<br />
いまや車窓から眺める景色のように、<br />
人生の愛おしいグラデーションの一部に<br />
なっています。<br />
<br />
<br />
それは、最初から何もかもが与えられ、<br />
守られたシェルターの中にいては、<br />
逆説的に決して味わうことのできない、<br />
魂の歓喜そのものです。<br />
<br />
<br />
山谷という摩擦（葛藤、不条理、情けなさ）が<br />
あるからこそ、人はそれを本当の富に<br />
変えることができる。<br />
<br />
<br />
そうであれば、「自分は今、深い谷底にいる」と<br />
目を曇らせている人は、裏を返せば<br />
「これ以上、落ちようがない」という<br />
無敵の切札を最初から握っている<br />
ということでもあるのです。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<h3 class="style3a">「それやりましょう」の風</h3>
<br />
<br />
もし、長年自分を縛り付けてきた檻の中で、<br />
息を潜めていた人が「本当の自分の本心」を<br />
ぽろりと漏らしたとしたら。<br />
<br />
<br />
私は、ただ一言、こう伝えます。<br />
<br />
<br />
「それやりましょう」<br />
<br />
<br />
<br />
たとえば、六十歳の人が<br />
「私、本当は歌手になりたいんです」<br />
「大谷翔平のような大リーガーになりたいんです」<br />
と言い出したら。<br />
<br />
<br />
常識や損得、あるいは「今さら無理だ」<br />
という防衛本能のモノサシで見れば、<br />
それは新たな, あまりにも激しい山谷の波に<br />
飛び込む無謀な行為に見えるでしょう。<br />
<br />
<br />
けれど、結果がどうなるか（損得）なんて<br />
どうでもいいのです。<br />
<br />
<br />
綺麗に身軽になってから<br />
飛ぶのではないのです。<br />
<br />
<br />
六十歳という年齢、世間の目、<br />
これまでの至らなさや情けなさ<br />
――その重たい「檻」に入ったままでいいから、<br />
その檻の窓をちょっと開けて、<br />
外の風を頬に受けてみる。<br />
<br />
バットを振ってみる。<br />
<br />
<br />
苦しみのないゴールを目指して<br />
立ち尽くすのをやめて、<br />
この人生の山谷という<br />
猛烈な移動の流れそのものに乗って、<br />
珈琲を飲みながら楽しんでいく。<br />
<br />
<br />
そのとき、かつてお釈迦様が<br />
微笑みながら指し示してくれた<br />
「苦集滅道」という深い響きが、<br />
時空を超えて肌に優しく<br />
触れてくるような気がするのです。<br />
<br />
<br />
完璧な正解を探してのたうち回り、<br />
歪なカオスにぶつかっては<br />
情けなさに立ち尽くす。<br />
<br />
<br />
その傷だらけのプロセスそのものが、<br />
実はすでに、外側の風を浴びながら<br />
絶対的な静寂を生きる<br />
「苦しみを滅する道」のただ中にあったのだと。<br />
<br />
<br />
動いているのに、動いていない。<br />
<br />
<br />
激動のただ中で、<br />
絶対的な安心の風を浴びて疾走する。<br />
<br />
<br />
そんな生き方の流れの中に、<br />
私はこれからも、出会う人たちを<br />
「それやりましょう」の言葉ひとつで、<br />
優しく巻き込んでいきたいと思っています。<br />
<br />
<br />
山も谷も消え去る日は、<br />
おそらく来ないのでしょう。<br />
<br />
<br />
だからこそ、<br />
その風は今日も吹いています。<br />
<br />
<br />
あなたの檻の窓を、<br />
ほんの少しだけ開けるために。<br />
<br />
<br />
今日も世界は、静かに山をつくり、<br />
静かに谷を育てています。<br />
<br />
<br />
その風に、珈琲を片手に<br />
微笑みながら乗っていけたら。<br />
<br />
<br />
その景色こそが、<br />
私たち一人ひとりに与えられた、<br />
かけがえのない人生なのだと思うのです。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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